003する賀てふ
「する賀てふ」
(安政三年(1856)九月 春の部)
駿河町という名は富士山を正面から跳められるため名付けられた。
もともと日本橋から 筋違御門を結ぶ直線道路と直交する各通りは
富士山が見える方向に設計されたが、
ことに 駿河町からは真正面だった。
富士山、江戸城、越後屋の3点セットは江戸繁栄のシンボル として多くの画題に取り上げられた。 両側とも越後屋。右側は「呉服物品々」で絹製品を、左側は「組物糸類品々」で綿・麻製品を あつかった。
町行く人にはつづらを紺の風呂敷で背負った手代や丁稚が目立つ。
現在、駿河町の道路はそのままで、右側は三井本館、左側が三越。
東京シティガイド江戸百景グループ」による
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