011市中繁栄七夕祭

「市中繁栄七夕祭」 

(安政四年1857)七月 秋の部) 

 

百景シリーズの中で、地名が特定されていない唯一の絵だが、七夕風景である。   

七夕について、斎藤月岑(ゲッシン)「東都歳時記」(天保9年1838)七月六日の項に、「今朝 未明より、毎家屋上に短冊竹を立てること繁く、市中には工を尽していろいろの作り物を こしらへ、竹とともに高く出して人の見ものとする事近年のならはしなり」として、屋根 の上に林立する七夕飾りの挿絵が載っている。

「今とむかし廣重名所江戸百景帖」(暮しの 手帖社、1993)では天保4年(1833)の「世のすがた」を引用して「しだいにこれ(笹竹) を高くし始め、ついには武家も町人も長い竿の上に結びつげて高さを競うようになりまし た」とある。

手前に描かれた左右の笹竹も竿にくくりつけられている。   

地点としては、富士山と右端のお城のやぐらとの位置、立ち並ぶ商家のたたずまいなど から推理して、宮尾しげを(集英社、1975・76)は「(中橋の裏手に住む広重が)我が家の 屋根の上に昇って見たものかも知れない」とし、これが定説になっている。   

ヘンリー・スミスは「広重名所江戸百景」(岩波書店1992)でこの説をいっそう発展させ、少し 右にある火の見櫓は「広重の生まれた八代洲の火消屋敷のもの」とし、さらには「右下の 浴衣は広重自身のものではないか」「左上の徳利は広重が酒を愛して…」と深読みを重ねる。 

「廣重の浴衣説」を受げて、人文社本(1996)は廣重の視点を「屋根上の物干し場」とま で書く(廣重の浴衣が干してある物干し場で描いた理屈だろう)。  

 西瓜や魚などは紙に描いて飾ったもの。

さまざまな飾りつけは、見ているだけであきな い。

いささか漫画的な感じもするが、よく見ると晴れやかな絵で、江戸の繁栄ぶりを今に 伝える、竪版ならではの名作である。

深読みしたくなる気持ちがわかる。 


「東京シティガイド江戸百景グループ」による

浮世絵

江戸時代に成立した絵画のジャンルである「浮世絵」を紹介してまいります。

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