2017.09.02 12:10026両ごく回向院元柳橋「両ごく回向院元柳橋」 (安政四年(1857)閨五月 春の部) 広重は表門上空に視点を定め、相撲櫓をクローズアップした。櫓から突出ているのは梵 天(第60景参照)であり、櫓上に太鼓の胴も見える。 隅田川の向う岸(右岸)には薬研堀の出口の元柳橋(...
2017.09.02 12:05025浅草川大川端宮戸川「浅草川大川端宮戸川」 (安政四年(1857)七月 夏の部) 一般に隅田川は鐘ヶ淵より下流の名称で、上流は荒川。浅草川・宮戸川は浅草付近の隅 田川の別称。手前は垢離場(コリバ)で水垢離を終えた大山講の講中が画面左の梵天(多くの御 幣を束にして棒の先に刺したも...
2017.08.31 00:23024両国花火「両国花火」 (安政五年(1858)八月 秋の部) 柳橋方面から両国橋を隔てて左岸下流を描く。夜目にも御船蔵の屋根の並びが分かる。 花火の下の両国橋上は大群衆ではなくほどほどの通行人が描かれているところから、ヘンリー・ スミス教授は川開きのようなイ...
2017.08.31 00:19023両国橋大川ばた「両国橋大川ばた」 (安政三年(1856)八月 夏の部) 隅田川右岸、西両国広小蕗の南から、よしず張りの小屋の屋根を隔てて中央に両国橋、 対岸に百本杭(現在の総武線鉄橋付近にあった水勢緩和のための杭群、千本杭ともいう)、 その後ろは伊勢津藩藤堂家...