2017.09.06 00:57038上野清水堂不忍ノ池「上野清水堂不忍ノ池」 (安政三年(1856)四月 春の部) 江戸名所図会には、清水観音堂は「京師清水寺に比して舞台造なり。この辺ことさらに 桜多し」とある。上野の山は、江戸一番の桜の名所であった。天海僧正が、大和(奈良)の 吉野山と同じように桜...
2017.09.06 00:55037浅草田圃酉の町詣「浅草田圃酉の町詣」 (安政四年(1857)十一月 冬の部) 遊女屋の窓から格子越しに鷲神社詣での人の波を見ている。窓の外は酉の市に出かけて 熊手を買い、担いで帰る人々の行列が描かれている。鷲神社は障子の右の陰にあたる。 部屋の主、部屋持ち身分...
2017.09.05 02:47036廓中東雲「廓中東雲」 (安政四年(1857)四月 春の部) 絵は、東の空が少し紅くなりかかった頃、花魁風の遊女がおつきを2人従えて客を見送っている情景。 遊女は赤いうちかけを羽織り、黒塗りの駒下駄を履いている。格の高さがうかがえる。 男達は皆...
2017.09.05 02:46035よし原日本堤「よし原日本堤」 (安政四年(1857)四月 冬の部) 堤にはよしず張りの編笠茶屋が並び、遊客を乗せた駕籠や往来する人々であふれるようである。 丁度、夜の帳がおり始めた暮れ六つ頃であろうか。遊女たちが店につく夜の張見世は 暮れ六つに始ま...
2017.09.05 02:45034猿わか町よるの景「猿わか町よるの景」 (安政四年(1857)十二月 秋の部) 満月に照らされた猿若町は、すでに芝居が跳ねたあとの景色である。広重の絵は北から 南を見ている。右側、手前から森田座、市村座、中村座が櫓を上げている。左側は芝居茶 屋が並び、帰り支度をした客は今、駕...
2017.09.05 02:42033墨田河橋場の渡かわら竃「墨田河橋場の渡かわら竃」 (安政四年(1857)八月 春の部) 春満開ののどかな風景である。隅田川をはさんで手前、今戸河岸のかわら窯あたりから 対岸の墨堤、小松島方面を見ている。窯からは瓦を焼く煙がたなびき、遠景には筑波山、 内川が見える。対岸...
2017.09.04 12:45033墨田河橋場の渡かわら竃「墨田河橋場の渡かわら竃」 (安政四年(1857)八月 春の部) 春満開ののどかな風景である。隅田川をはさんで手前、今戸河岸のかわら窯あたりから 対岸の墨堤、小松島方面を見ている。窯からは瓦を焼く煙がたなびき、遠景には筑波山、 内川が見える。対岸...
2017.09.04 12:44032待乳山山谷堀夜景「待乳山山谷堀夜景」 (安政四年(1857)八月 春の部) 隅田川の東岸、三囲神社の前から西側の真乳山と山谷堀を望んで描いた夜景。 星空にこんもりと盛り上がった緑の山は真乳山である。昔はもっと背の高い山だったが、 この山を削り日本堤を...
2017.09.04 12:42031浅草金龍山「浅草金龍山」 (安政三年(1856)七月 冬の部) 雷門から正面に仁王門、右に五重塔を望んだものである。純白に、赤、藍、紫、黄の色 を巧みに配した美しい雪景色である。普段の喧騒を避けた静かな浅草寺の境内を描いてい る。重い雪を踏しめて歩く参詣者の...
2017.09.03 12:18030吾妻橋金竜山遠望「吾妻橋金竜山遠望」(安政四年(1857)八月 春の部) 舟は竹屋の渡し近くの川の中ほどから、下流右側を望見している。絵は屋根舟の半分を 前景に大きく描いている。芸者と思われる女は半分しか描かれていないが、相手の人物は まったく描かれていない。この舟客たち...
2017.09.03 12:16029駒形堂吾嬬橋「駒形堂吾嬬橋」 (安政四年(1857)一月 夏の部) 「君はいま駒形あたりほととぎす」 吉原の才媛遊女、二代目高尾太夫が仙台の伊達網宗侯への思い入れをしたためた手紙の なかの句である。隅田川では立夏より15日目位に杜鵑が鳴き初め、それを初音といった。&n...
2017.09.03 12:14028御厩河岸「御厩河岸」 (安政四年(1857)十二月 冬の部) 隅田川に面して幕府の米蔵があり、その北に幕府の馬を飼っていた厩があったので、御 厩河岸といった。対岸の橋は二番堀の向かいにあった入堀にかかる石原橋(入堀は現在の横 網二丁目と本所一丁目の境にあ...