2017.09.20 11:54050箕輪金杉三河しま「箕輪金杉三河しま」 (安政四年(1857)閨五月 冬の部) 鶴が2羽、優美な姿を現している。地域は、画題の三つの村名から吉原の北西の地域と 考えられる。背景に山や岡が見えない為、道濯山方面から東南方向を描いていると思える こと、沼・田圃が多く、...
2017.09.20 11:52049日暮里諏訪の台「日暮里諏訪の台」 (安政三年(1856)五月 春の部) 描かれた場所は諏訪台の崖縁、諏方神社の境内である。2本の杉がそそり立ち、 竪版の画を引締めている。 北東に展開する広大な眺望を楽しむ見物客が思い思いに床几に座り、給仕を受けて...
2017.09.17 05:12048日暮里寺院の林泉「日暮里寺院の林泉」 (安政四年(1857)二月 春の部) 日暮里には、東叡山の領地であったことから、数多くの寺が建っている。山の傾斜を利用して 形態を整え林泉を構えた。 この絵は青雲寺・修性院・妙隆寺の花見寺三寺院の中央、修性院の...
2017.09.17 05:10047干駄木団子坂花屋敷「干駄木団子坂花屋敷」 (安政三年(1856)五月 春の部) 林に囲まれた高台には、渡り廊下が付いた三階建てが建つ。これは「絵本江戸土産」から、 紫泉亭と特定できる。眺望を楽しむ人も8人が数えられる。その手前、源氏雲の向こうに 崖を上る急な石段状...
2017.09.17 05:08046水道橋駿河台「水道橋駿河台」 (安政四年(1857)閏五月 夏の部) 本来、上水掛樋の屋根の一部が見えても不思議ではないぎりぎりの位置、坂の途中から、 西南の富士を望んでいる。この方角に拡がる街並みのほとんどが旗本・御家人の屋敷。吹 き流し、鍾馗幟、旗など武...
2017.09.14 01:43045昌平橋聖堂神田川「昌平橋聖堂神田川」 (安政四年(1857)九月 夏の部) 梅雨時か、雨の風景である。昌平橋は右手前に欄干がわずかに覗いている。正面に見え る坂は相生坂。坂沿いに連なる練塀の白さが印象的だ。練塀の奥は聖堂の木立である。 急な坂とそれ...
2017.09.14 01:41044筋違内八ツ小路「筋違内八ツ小路」 (安政四年(1857)九月 春の部) 広重の画面は実に広々としているが、誇張ではない。中央の小屋は昌平橋たもとの辻番 所、その横で土手が切れているところが、昌平橋である。松や柳の植えられた柳原土手の 向うにたなびく雲は神田川の谷の深さを現...
2017.09.14 01:37043神田明神曙之景「神田明神曙之景」 (安政四年(1857)九月 春の部) 東の空も上空はまだ半分うす闇が残り、冷たい清冽な空気が画面から感じられる。画面 の3人は、岩波本ヘンリー・スミス氏の解説では、「左手から神主、巫女、召使で朝の巡回を始めた ところ」。人文社...
2017.09.07 03:13042湯しま天神坂上眺望「湯しま天神坂上眺望」 (安政三年(1856)四月 冬の部) 湯島天神のある本郷台地へは、女・子供は勾配の緩やかな女坂を北から、男は真直ぐで 急な男坂を東から登った。女坂を登り詰めた坂上から北方の景色は素晴らしく、池之端の町屋 、不忍池、池の中に突き出した中...
2017.09.07 03:11041下谷広小路「下谷広小路」 (安政三年(1856)九月 春の部) 元禄時代(1688~1704)以降、下谷広小路の両側に町屋が整い、店舗が立ち並ぶようになった。 右手の建物は、「松坂屋」である。広重はこのシリーズで上野松坂屋、大伝馬町の大丸屋、 駿河...
2017.09.07 03:09040上野山した「上野山した」 (安政五年(1858)十月 春の部) 上野山の東側の麓一帯を「山下」といった。水茶屋料理屋が連なり、床見世、見世物小屋が 出て両国広小路、浅草奥山に並ぶ盛り場だった。 石垣は黒門の両側から逆ハの字に袴腰といわれた土手であ...
2017.09.06 00:58039上野山内月のまつ「上野山内月のまつ」 (安政四年(1857)八月 秋の部) 第11景で上野清水堂の崖下の向かいに描がかれた「月の松」と呼ばれた奇松の大写しである。 樹の肌が画面いっぱいに描かれ、不思議な曲線の背景には不忍池が広がり、池に突き...