015外桜田弁慶堀糀町

「外桜田弁慶堀糀町」 

(安政三年(1856)五月 夏の部)



桜田門(外桜田門)あたりから桜田堀越しに、西側、国会議事堂方向をながめた絵であ る。

画題にある「弁慶堀」は、現在の桜田堀であり、赤坂見附の弁慶堀ではない。   

絵の左手の赤い門と白い壁は近江彦根藩井伊家35万石の上屋敷。

現在の国会前庭北側を すべて含む巨大なお屋敷であった。

戦前は陸軍参謀本部の建物が建っていた(「日本水準原 点」があるのもそのため)。井伊家といえば桜田門外で殺害された井伊直弼だが、「万延元 年(1870)3月3日の事件の4年前のスケッチである。

…直弼はまだ大老に就任していない」(暮し の手帖本)、そんな時期の絵という。  

次いで右に、三河田原(タハラ)藩三宅(ミヤケ)家(1万2,O00石)の上屋敷。

現在は最高裁判所 がある。

小さい藩だが、「三宅坂」交差点にその名を残す。

渡辺華山を生んだ藩で、説明板 が交差点にある小公園(平和の像)に立つ。   

三宅家の右隣りが、播磨明石藩松平家8万石の上屋敷。今は国立劇場が建つ。   

最後右端の火の見櫓を持った屋敷は定火消(ジョウビケシ)御屋敷で、半藏門の手前にあった。   

絵の細部を観察すると、井戸が二つ描かれているのが分かる。

中央左、通りの左手に釣 瓶を3台つるした井戸が「桜の井戸」。

そして、その通りのさらに先、右手の土手ぎりぎり に「柳の井戸」。

前述の通り、今もまったく同じ位置に残るのがうれしい。   

なお、弁慶堀は京都の大工、弁慶小左衛門が縄張して完成させたことによる命名である。


「東京シティガイド江戸百景グループ」による

浮世絵

江戸時代に成立した絵画のジャンルである「浮世絵」を紹介してまいります。

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