017霞かせき
「霞かせき」
(安政四年(1857)一月 春の部)
めでたい新年の光景である。門松、凧場げ、通行人。水平線の赤のぼかしも効果的。
今と同じ「霞が関坂」の坂上から、東の海側を望む絵である。現在はビルが林立し、海 は見えない。 遠く町屋の中にとび出る屋根は、築地本願寺。百景のあちこちに同様の屋根が描かれて おり、よほど目立つ大きな建物だったのであろう。
「地図上この坂を延長すれば本願寺にぶ っかります。広重の写生はなかなか正確です」(暮しの手帖本)という。
スミスによれば「霞が関坂は実際よりも急な坂に描かれている。浮世絵師らは、坂下に 広がるパノラマを強調するために坂の勾配をよく誇張して描いた」と説く。
最上段の凧に「魚」とあるのは、版元「魚栄」のこと。
広重は、百景のうち4景に「魚」 の文字をしのばせた。
右側のなまこ壁は、福岡藩黒田家52万石の上屋敷。
現在は外務省の場所である。
「通り に面した2階建ての長屋は、家臣の住まいにあてられている」(スミス)という。
大きな門 松が半分見える。
左側は辻番所(番小屋)で、低い門松で飾られている。
その奥にあるはずなのが、広島 藩浅野家42万石の上屋敷。
現在は、国土交通省・総務省に化す。
初春にちなむ人物ばかりが描かれている。
逆にいえば、「絵に出てくる人物は普段はあま り用のない連中が多い」(宮尾しげを)。主として暮しの手帖本から引用して以下に記す。
右から、
①払扇箱(ハライオウギバコ)買い(年始客の持参した年賀の「扇=末広」が溜まったの を引取る商売)、
②羽子板を抱えた娘と母親、
③大紋素襖(ダイモンスオウ)に威儀を正し供を従え た武士(「おそらく江戸城へ年始の挨拶にいった帰りであろう」とスミス)、
④万燈(マントウ)、 挟箱(ハサミバコ)をかついだ太神楽(ダイカグラ)一行(万燈には「天照大神の名が書かれているは ず」とスミス)、
⑤裃(カミシモ)姿の万歳(マンザイ)の才蔵(サイゾウ)と太夫、
⑥こはだの寿司売り。
正月の何日の絵なのかには、2説ある。
「町屋の年始は2日から始まったので、この絵は 2日の情景であろう」が東海銀行国際財団本。
「大正の解説は、末広の払箱買いが出ている ところを見れば、この絵は正月7日を過ぎているといいます」が暮しの手帖本である。
「東京シティガイド江戸百景グループ」による
大きな画像を見ることが出来ます。
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