021紀の国坂赤坂溜池遠景

「紀の国坂赤坂溜池遠景」 

(安政四年(1857)九月 秋の部)

  

紀伊国坂をのぼる途中で、ぐるりと坂下方向を振り返った場所からの絵である。   

左側には御堀(現・弁慶堀)がある。その右側は、当時は紀州(紀伊国)徳川家 55万5,000石の中屋敷(現在は広大な赤坂御所・迎賓館)があったが、絵には描かれておらず、 右隅ぎりぎりに「火の見櫓だけで辛うじて示されている」(人文社1996年)。   

大名行列が坂をあがってくる。

左右2列のうち片側1列のみが描かれている。大名行列の 真後ろにある緑の木立は、かなり離れているが、切絵図を見ると、広島藩浅野家42万石の下屋敷(現・TBS)らしい。   

絵でお堀の先、左の緑の森は日吉山王大権現社(廃仏毀釈で現・山王日枝神社)。

奥に屋根が ひしめきあっているのが、赤坂の町屋であろう。

画面中央に霊南坂の現・ホテルオークラ向いに あった定火消屋敷の火の見櫓が立つ。

左手前、お堀の中にちょっと突き出た部分は、彦根藩井伊家の 中屋敷(現・ホテルニューオータニ)の一部である。

お堀には蓮の名残が拡がっている。   

題名にある「溜池」については2説ある。

暮しの手帖本(1993年)は「立札の首の辺に溜池がのぞいている」 と書く。ところが、他の本には水色の箇所がなく、「溜池は赤坂の人家の蔭になって見えない」 (ヘンリー1スミス、岩波書店1992年)などとする。   

初摺り、後摺りの違いなのか、あるいは初めから溜池はえがかれていないのか、よくわ からない。


「東京シティガイド江戸百景グループ」による

浮世絵

江戸時代に成立した絵画のジャンルである「浮世絵」を紹介してまいります。

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